マリみて

「春」は最終回のようだ。

こう何かが変わったわけでもなく、
しばらくしたら原作に沿って新シリーズが作られると思うので
特にコレといった感想はない。

ところで、「マリみて」の面白さというか魅力と言うのは
美しい日本の縦社会であると私としては以前から主張しているわけなのだが
これは割と多くの人が思っていることのようではある。

大体ヤンキーものの二つ名と薔薇様という称号の間には明らかに親和性がある。
浜名湖の龍』とか『浪花の虎』と、『紅薔薇の蕾』は良く似た概念であることは
並べてみればすぐにわかる。
そこから逆にヤンキーもの(番長もの)の縦社会構造、これはヤクザものの親分子分の関係に近いものが『マリみて』の姉妹(スール)の関係の中にも見られるために
少女小説であった『マリみて』が男性にも受け入れられた要因であると私は考え、
そう主張していた。
この他にやはり恋愛要素が要因のひとつであることも否定はできない。
それに加え寸止めの魅力があると気付いた。
どこをどう見たってやっぱり『お姉さま』と『妹』の関係はビアンとか百合とかに見えるわけだと思うのだが、それを極めて薄いベール越しに見る。
これがどうゆう効果を引き起こすかというと、恋愛関係として描かれている女性同士を否定的に見る者も、肯定的に見る者も、
同時にどこに一定の線が引かれるのかという興味を持つことになる。
作品の持つ恋愛構造事態には、どちらの立場に立つ者も通常の楽しみを持っているのに加えて、
どこまである一定のライン(笑)に近づくかということも双方が楽しめる要素なのだ。

ついでに言うと、ライン際を楽しんでいるうちに自分がどちらの視線で見ているかわからなくなってきた人もいるのではないかと思っている。
おそらく、ヤオイについてもこの構造が当てはまっていたのではないだろうか。