そう言えば褒めるのを忘れていた

19日分では、『SHIROH』についてケナシと自分のダメッっぷり情報開示しか書いていない。
無茶苦茶な自分解釈でネタバレ解析で褒め殺してみよう。

構造の美しさ

全体の構成が美しい。
演劇は、よくバランスを欠いた状態になりやすい。
パワーにまかせて、即時性がそれを後押しして魅せ切ることが多い、んじゃないだろうか?
だが『SHIROH』はバランスを保ちきったという気がしてる。
これが整合性とイコールではないので。

この話の主人公は間違いなく益田四郎である。
弾圧者である幕府側、というか松平伊豆守と正面切って対峙する位置にあるのは益田四郎であるわけで、シローは益田四郎が手にした兵器でしかない。
挫折し、カリスマとして民衆と対峙することから逃げ、手にした兵器シローを暴走させて悲劇を拡大し、悲劇の大きさに比して小さな奇跡を犠牲を払って起こす。

たぶん、こんな感じが土壌骨のストーリーラインになるはずだ。
とするとオープニングとエンディングに山田寿庵がきちんと配置されているので構造として美しい。
島原唯一の生き残り、山田右衛門を四郎の残したモノとして
女性、山田寿庵にしてしまうところを完全に生かしていると言えるだろう。

そのストーリーの中では兵器や力としての意味合いでしかないシローの物語も
力を振るう喜びに目覚め、増長し、悲劇にぶつかり暴走して死ぬという単純なそれゆえに判りやすい構造として全体の中に納まっている。
悲恋がもたらすカタストロフとかそういう感じの
インナー・ストーリーとして機能するわけだ。

外部と内部として成立した二人のSHIROHは、対立する2項構造として深読みしやすい。

益田四郎←→シロー(現実の四郎の理想としての一面)
益田四郎←→松平伊豆守(四郎の逃げ出した現実、と取れなくもない。まあ、為政者と民衆の側に立つ者との構造対立で充分だけれども)
益田四郎←→柳生十兵衛(理性の人と獣性の人として背反、寿庵を斬ったのが十兵衛であるというのは無理矢理暗喩として受け取れなくもない)
山田寿庵←→リオ(どちらも、四郎の選択を象徴する女性でして受け取れる。
リオと寿庵がベクトルが違っているのは、シローを四郎に引き合わせたリオとシローに警戒心を持つ寿庵という形で現されている。たぶん)
お密←→お紅(「くのいち」と「女」が対立事項として明示されているのだけれど、ここだけ四郎に結びつけられなかった。まあ、己を殺して生きていくかどうかの象徴とか……苦しいけど)

とにかく益田四郎の葛藤する条件に登場人物の対立を結びつけて捉えることができるので
全体としての統一感があり、すわりがいい。
こんな構造的な美しさが気持ちよく感じられたわけです、私には。

だめだ、自分解釈の我田引水の文章で、さっぱりまとめられん。
コレで限界なのでこの項終わり。